20080416

次元。

就活を終えた先輩と話していて、気付く。
私は何でもやりたいようで、実は何にもやりたくないんだなぁと。
何のビジョンもない。
どこで働いている想像もつかない。

でも、別にやりたいことがあるから働くわけではないような気もするけどね。

やりたいことがないからって追い詰められる必要もないと思う。

熱いひとって素敵だけど
そういう人間ばかりが果たして求められているのかしらと
抜け殻のような私は、僅かに残る砂のような心で思うのです。

世界は変わらない。
未来に夢はない。

何も知らずに世の中をよくするために働きたいと思っていたのは
やはりその未熟さゆえだったのだと
そう気付くとますます全てが馬鹿馬鹿しく思えてならない。

隣の人が積み重ねていることが何になるのか。
地球を丸ごとバーンと爆破して全部消してしまえばいいと
なんだかそんな気分になるのは読みかけの海辺のカフカのせいか。

真っ暗のトンネルを、怖いとも思わず、しかし先に光があるとも思えずに
何も感じずにただ進む。
いや、進むでもなく、止まるでもなく。
空間に漂っている。

20080415

不自由と闇。

人生のどこにも闇をもたない人間はいるらしい。
なんの闇もなく常に明るいところを歩いてきた人間。

そういう人は、強い精神力をもち、健康な体をもつ、まさに選ばれた人材だ。
彼らは性質もよく、優秀で、全く申し分がない。
そして彼らは自由なのだ。
精神的不自由というものを知らない。
だからますます明るいところだけを進み続ける。
彼らの世界に多少の暗がりはあっても真っ暗でひんやりとした静寂の暗闇はないのだ。

一方で、多くの闇を持つ者は、常にそれに搦めとられ、更なる闇を作り出していく。
闇の自己生成はどんどんその人の自由を奪っていく。
それを止めるにはかなりの精神的鍛錬が必要だ。
闇を自分の手で取り除くことはできない。
ただ闇を知る人間だけが誰かの闇を取り除くことができる。

高桑先生が言った。芸術とは自由の追求だと。
不自由をとりのぞくこと、見えない制約を撤廃することだと。
そしてそのかけらを共有することだと。

不自由は多様化している。
現代において特に、それはどんどん複雑になっていく。
私はそれをどう解きたいのか。

結局、私はまだいつだって自分の闇を克服することに必死だ。
早くその先へ。
そこに何があるのか、私には分からないのだけれど。

20080410

未熟の意味。

「未熟であるからと消極的になってしまったら、
 未熟である意味がなくなってしまう」

岡本太郎のことばだそうだ。
ラジオから流れてきて、はっとした。

未熟だからと消極的になるのは甘えだと。

そのとおり。
偽物のプライドにとらわれるな。

こくせー調査。

法のもとの人口が住民きほん台帳だとして
実際の人口はどうかという話。

こくせー調査のありかたについては各方面からいろいろ意見が出ているようだが
住民きほん台帳とは全く違うものを調査していて
この両者が存在していることに
ひとつの大きな意味があることを
知っておいてほしいのです。

さて、数値地図の公開がいつのまにか終わっていて
私は今日相当あたふたしました。
また腹立たしくも思いましたし、疑問にも思いました。
この新しいシステムは何のためなのでしょうか。

まぁ、まだ詳しいことは調べていないので事情は分からないのですが
今はかなりの苛立ちようです。